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広島高等裁判所 昭和53年(う)101号 判決

被告人 竹上正武

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一二〇日を原審の言い渡した刑期に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡秀明作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官平野新作成名義の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点(原判示第一の事実に関する事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、被告人が種義彦に対して負わせた傷害は六日間の通院を要する程度のものにすぎなかつたにも拘らず、右傷害の程度を全治約一か月間を要するものと認定した原判決は事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、原判決が挙示する関係証拠を総合すれば、被告人が種義彦に対し全治約一か月間を要する傷害を負わせた事実は十分に認められる。すなわち、右証拠、とりわけ、証人種義彦の原審公判廷における供述、同人の検察官に対する昭和五三年一月六日付及び同月一三日付各供述調書、種和夫の司法巡査に対する供述調書、種育子の司法警察員に対する供述調書によれば、種義彦は、昭和五二年八月一六日にモーター・ボートの上で、被告人から腰部をボートのカバー用の木製支柱で一回強打される等の暴行を受け、下半身がしびれて一人で立上れないような状態となつて、弟種和夫らの助けを得て帰宅したものであり、翌日中増整形外科医院で医師の診察を受けたところ、腰の骨がずれているので絶対安静の必要があると診断されて入院を勧められたが、仕事の都合上通院して治療することとし、以後同医院に通院したほか藤原整骨医院や宮村治療院で電気治療等を受けたけれども、仲々腰部の痛みがとれず、同年九月一五日ころまでは工事現場の見廻りなど必要やむを得ない場合以外は外出を避けて自宅で療養する状態であつて、この痛みがなくなつたのは九月末ころであつたことが認められる。したがつて、種義彦の受けた傷害が全治までに少くとも約一か月間を必要とした事実は否定できないところであつて、所論援用の医師中増正記作成の診断書は、種義彦の受けた病傷名が、「腰椎捻挫、左腰部打撲傷」であることを明らかにするとともに、同人が、同医院において、昭和五二年八月一七日から同月二二日までの期間治療を受けた事実を証明するものにすぎず、上述の結論を否定するものではない。尤も、被告人は原審及び当審の各公判廷において、被告人が九月一日ころに種義彦と会つた際、同人は少しも痛みを訴えていなかつたし、外見上異常は認められなかつた旨供述しているが、種義彦は腰椎捻挫等の傷害を負つたものであり、その痛みの残存等の状況を外見から判断することは困難であると認められるので、仮に被告人の供述するような事実があつたとしても、これをもつて、前示結論を否定すべき有力な根拠とすることはできず、他に右結論を否定するに足る証拠は見当らない。そうしてみると、原判決が被告人は種義彦に対して、全治約一か月間を要する傷害を負わせた旨認定したことは正当であつて、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決には所論の如き事実誤認を発見することができない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(原判示第二の事実に関する事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について。

所論は、要するに、原判決は被告人が原判示モーター・ボートのフロント・ウインドウ・ガラスを叩き壊して艦船を損壊した旨認定し、右所為につき刑法二六〇条前段を適用しているが、はめこみ式フロント・ウインドウ・ガラスは艦船の一部とは認め難く、又、右ガラスを叩き壊してもモーター・ボートの船としての効用がなくなる訳ではないから、被告人が艦船を損壊したものとはいえない。したがつて、原判決はこの点に関し事実を誤認し、かつ、刑法二六〇条の解釈又は適用を誤つたものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、(一)原判決挙示の関係証拠を総合すれば、被告人がヤマハSTR二〇HTCR型モーター・ボート(以下、本件モーター・ボートという。)の船室操舵席前面フロント・ウインドウ・ガラス(以下、本件フロント・ガラスという。)を叩いてこなごなに破壊した事実が認められるほか、(1)本件モーター・ボートはハード・トップ型であつて、操舵席や客席がフロント・ウインドウ・ガラスや屋根等によつて密閉され、一つの部屋として内部で飲食や仮眠等ができる設計となつており、その定員は六人、総トン数は四・七二トン、船の全長は約六メートル、全巾は約二・四メートルであり、一七五馬力のエンジンを搭載し、時速六〇ないし七〇キロメートルで走航する能力を有すること、(2)本件フロント・ガラスは、材質に強化ガラスが使用されており、その大きさは、横が約七五センチ・メートル、縦が約四二センチ・メートルであつて、ほぼ同じ大きさの客席側前面のフロント・ウインドウ・ガラスと共にステンレスの枠で船体に取り付けられていて、その取外しには専門的技術が必要とされていること、(3)本件フロント・ガラスが破壊されると、風や波しぶきあるいは雨などがまともに船室内に入つてくるので、居室としての効用が著しく損なわれることは勿論であるが、操船者にとつては前面が直視しにくくなるから運航上危険であり、又、船室内に流入する風の力(風圧)によつて速力が落ち、モーター・ボート本来の高速走航が困難になると共に、船室内に風をはらむ状態となるので船体の安定性が失なわれること、他面、低速での運航は、風や波の影響を受け易く、安全でないこと、以上(1)ないし(3)の事実が認められる。右(1)ないし(3)の事実は当審取調べの証人植本勝広の供述により一層明らかであつて、すなわち、右供述によれば、本件フロント・ガラスにはアルミサツシの二重枠がつき、これがリベツトで船体に取り付けられていて、その取外しには特殊な道具と専門的技術が必要であること、モーター・ボートは一般的に二〇ノツト(時速約三六キロメートル)以上の速度を出さないと本来の運航状態(滑走状態)に達しないが、本件フロント・ガラスが破壊された場合には、船室内に流入する風の力(風圧)によつて運航が阻害されるので、相当のパワー・アツプが必要となるし、流入する風を後部ドアの開放等によつて逃さない限り、風をはらむ状態となるから運航の安定を欠き、危険であること、ハード・トツプ型のモーター・ボートはオープン型のそれと対比すると、船室の居住性が重視され、風雨に耐え得るような構造となつているのが特徴であるが、本件フロント・ガラスが破壊されることにより、これらの特徴は失なわれてしまうことなどの諸事実が認められるのであり、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても他に前示(1)ないし(3)の各事実を左右するに足る証拠はない。(二)しかして、前示(1)の事実によれば、本件モーター・ボートが刑法二六〇条所定の「艦船」に当ることは明らかなところ、前示(1)ないし(3)の事実によれば、本件フロント・ガラスは、船の「機関」ではないけれども、その構造及び機能にかんがみ、「機関」と同様の意味で本件モーター・ボートの一部を構成するものと認めるのが相当であり、本件フロント・ガラスが破壊されることによつて、本件モーター・ボートの艦船としての効用、とくに、高速船としての効用や居住性等は著しく損なわれて、事実上運航に供しえない状態となることが認められるのであるから(これを所論の如く、単に、スピードが一杯に出せないだけであるということはできない。)、被告人の前示行為、つまり、本件フロント・ガラスを破壊した行為は、ひつきよう、艦船たる本件モーター・ボートの損壊行為であつて、刑法二六〇条前段に該当するものと解するのが相当である。そうしてみると、原判決が、被告人は本件フロント・ガラスを叩き壊して艦船を損壊した旨認定し、右所為につき刑法二六〇条前段を適用したことは正当であつて、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決には所論の如き過誤を見出すことができない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(原判示第三の事実に関する事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、原判決は被告人が額面三九万円の原判示約束手形(以下、本件約束手形という。)の支払いに窮したため、種義彦から金員を喝取しようと企て、原判示の如く同人を脅迫して畏怖させ、同人をして原判示当座預金口座に現金三九万円を振込み入金させた旨認定するが、右は誤認であつて、被告人には恐喝の犯意はなく、その実行行為もない。被告人が種義彦に対して、「よう手形を不渡りにしてくれたのう。」などと言つたり、その顔面を叩いたりしたのは、同人が被告人の口ききで分割払いにしてもらつた債務の第一回目の支払手形(額面五〇万円)を不渡りにして被告人の面子をつぶしたためであつて、本件約束手形の支払いとは無関係である。又、仮に、被告人が本件約束手形のことで種義彦を追及したものと認められるとしても、同人は先に被告人の依頼に応じて本件約束手形を落すことを約束していたのであるから、被告人の右追及行為は恐喝行為とはいえないものである。以上のことは、被告人の原審公判廷における供述等により明らかであつて、原審証人種義彦の供述は信憑性に乏しく措信さるべきでない。したがつて、原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤つて事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第三の事実は所論指摘の点を含めて優にこれを認めることができる。すなわち、まず、所論にかんがみ、原判決が証拠としている証人種義彦の供述の信憑性につき検討すべきところ、同人は原審公判廷において、昭和五二年六月に本件約束手形を被告人から工事代金などの支払いのためとして受取り、これを割引いて使用したこと、同年一一月二五日ころ、被告人から、本件約束手形の支払期日(同月三〇日)が迫つてきたが、預金不足で不渡りになりそうなので、代つて支払つてもらいたい旨依頼されたこと、しかし、自分には、個人的にも会社(株式会社ハウジング・ポート)としても、そのような資金の余裕がなかつたので、被告人にはその旨ことわりの返事をし、なお被告人の父の竹上繁夫と相談してみるとも言つておいたこと、一一月三〇日当日、被告人が手形の件で自分の行方をさがしていると知らされたので、竹上繁夫と相談して、同人方に赴いたところ、翌一二月一日午前零時ころ被告人が弟の種和夫と一緒に同所にやつてきて、被告人において、自分に向い「よう手形を不渡りにしてくれたのう。」「この間は片輪にせんかつたが、今日は片輪にしてやる。」などと怒号し、左手で顔面を殴打したうえ、本件約束手形を落すべく強く要求するのですつかりこわくなつて、やむなく被告人の右要求に従うこととしたこと、そこで、同日午前一時半過ぎころ、広島市信用組合堺町支店長宅に架電して、本件約束手形の不渡りを防ぐ方法を教えてもらつたうえ、弟和夫が所持していた現金二〇万円を借用するなどして現金三九万円を工面し、これを原判示預金口座に振込み入金したものであることなどを証言しているものである。右に見る如く、種義彦の証言内容は明確かつ具体的であり、自己の体験した事実を比較的率直に供述していることが窮われ、種和夫や竹上繁夫の供述内容と対比しても、重要な点において整合しており(なお、被告人が「片輪にしてやる。」などと怒号したことは種和夫の証言にも現われているところであつて、右発言を否定し、種義彦の証言には誇張や嘘があるとする所論は採用できない。)、矛盾その他とくに不自然な点は認められないので、種義彦の証言はその核心的部分に関する限り十分措信するに足るものというべきである。したがつて、原判決が証人種義彦の供述を措信したことに誤りはなく、右供述と原判決挙示のその余の関係証拠を総合すれば、原判示第三の恐喝の事実は十分に認められ、被告人の原審及び当審の各公判廷における供述等のうちこれと相容れない部分はたやすく信を措き得ない。これに対して所論は、被告人が種義彦をなじつたり殴打したりしたのは、同人が被告人の口ききで分割払いとなつた債務の第一回目の支払手形を不渡りにして、被告人の面子をつぶしたためであつて、本件約束手形の支払いとは全く関係ない、というのである。しかし、被告人の種義彦に対する怒号や殴打等の行為が本件約束手形の支払いに関するものであつたことは、原審証人種義彦、同種和夫及び同竹上繁夫が一致して供述しているばかりでなく、被告人自身も司法警察員や検察官に対して明確に供述しているところであつて、この事実は到底否定できないから、右所論は採るを得ない。又、所論は、仮に被告人において種義彦を本件約束手形のことで叱責したり殴打した事実があつたとしても、同人は一一月二五日ころ、被告人に対して本件約束手形を落すことを約束していたものであるから、被告人が同人に対して右約束の不履行を責め、履行を求めることは当然であつて、被告人の右所為は恐喝行為に当らない、というのである。しかしながら、証人種義彦の供述によれば、同人は一一月二五日ころ被告人から本件約束手形を被告人に代つて落してもらいたい旨頼まれたが、その余裕がなかつたので、これをことわつたというのであり、関係証拠を仔細に吟味しても、同人が被告人の依頼に応じ、本件約束手形を落すことを約束した事実は認められないので所論は前提を欠くものである(この点に関する被告人の原審公判廷における供述等は俄かに借信し難い。)。なお、仮に種義彦において、被告人の依頼をはつきりとことわらず、多少曖昧な返事をしたような状況があつたとしても、そのことによつて当然に被告人が同人に対し本件約束手形を落すべく要求できる筋合ではなく、ことに、本件約束手形は被告人が種義彦に対し造園工事代金や借金の支払いのために振り出したものであつて(ただし、振出名義人は有限会社陽昇物産であり、受取名義人は株式会社ハウジング・ポートである。)、もともと種義彦においてこれを落すべきいわれは全くないこと等を併せ考えれば、被告人が同人に対し原判示の如き怒号や暴行を加える など違法な手段を用いて本件約束手形の支払いを迫ることは到底許されないところであり、いずれにせよ、被告人の本件行為が恐喝行為に当ることは否定できないものである。以上のとおりなので、原判決の原判示第三の事実認定は正当であり、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決には所論の如き誤認を見出すことができない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(量刑不当の主張)について。

所論は、要するに、仮に原判決の事実認定等が全て正当であるとしても、原判決の量刑は情状に照らし重きに失して不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、被告人は、(一)原判示第一の日時ころ、原判示岸根海岸沖合の海上において、知人の種義彦がモーター・ボートを乗り廻しているのを目撃したが、その前日に、同人から、エンジンの不調等を理由として右モーター・ボートの使用方をことわられていたことから、同人が嘘をついたものと思い込み、その態度に激昂して、原判示第一の如く、同人に対しその腰部をボートのカバー用の木製支柱で強打するなどの激しい暴行を加え、同人に全治約一か月間を要する傷害を負わせるとともに、(二)原判示第二の如く、右木製支柱で右モーター・ボートのフロント・ウインドウ・ガラスを叩き壊して、艦船を損壊し、(三)自己が有限会社陽昇物産名義で振り出した額面三九万円の約束手形の支払いに窮したため、種義彦から金員を喝取しようと企て、原判示第三の如く、同人に対し語気鋭く申し向けて同人を畏怖させ、同人をして原判示当座預金口座に現金三九万円を振り込ませて、同額の財産上不法の利益を得たものである。このような本件各犯行の性質、動機、態様及び結果並びに被告人の年令、経歴、当時の生活態度、とりわけ、右(一)及び(二)の犯行は、極めて粗暴な行為であり、結果もたやすく軽微視できないものであるところ、種義彦に対して慰藉の措置は講ぜられておらず、モーター・ボート損壊の賠償もなされていないこと、(三)の犯行は自己が行うべき約束手形金の支払いを他人に肩代りさせようとする理不尽な恐喝であり、その被害も回復されていない状態であること、しかも、被告人は昭和四二年ころから暴力団美能組に出入し、同四八年ころに同組組長藪内勲直系の若い者となり、現在では共政会理事を兼ねている者であつて、その生活態度は全体として不良であり、再犯のおそれが否定できないこと等諸般の事情を総合考察すると、被告人の刑責は到底軽視できず、(一)及び(二)の犯行に関しては、種義彦にも全く責められるべき点がないとはいえないこと、被告人はこれまで一回罰金刑に処せられただけであつて、懲役又は禁錮の前科は存しないことなど所論指摘の諸点を被告人のため十分有利に斟酌してみても、被告人を懲役二年に処した原判決の量刑は、まことにやむを得ないところであつて、重きに失して不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一二〇日を原審の言い渡した刑期に算入し、当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹村壽 谷口貞 堀内信明)

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